橿原だより

平成29年5月16日

温む水面に極楽鳥花(第3回 嵯峨御流いけばな紹介)

 少し前まで感じていた朝晩の寒さも、今では過ごしやすくなり、水や川の流れる色からも暖かさが感じられるようになりました。

 今回の境将甫氏のいけばなは南国の花を取り入れた作品です。

H29.05.13 いけばな①

 花材はストレチアというもので、別名極楽鳥花と呼称されております。

 別名の通り、色鮮やかで壮麗な極楽鳥の頭に似た花の形が特徴的です。

H29.05.13 いけばな②

 様式は「生花(せいか)」という型で、植物の自然の出生を踏まえながら秩序ある姿形を仕立て、生ける技法です。

 又、足元の花器を濃い青色にすることで、橙色のストレチアが下から照らされ、全体的にまとまりのある非常に引き締まった作風となっております。

 花と器の色合いが響き合った大変美しい作品を是非御覧下さい。

               (嵯峨御流 境将甫氏WEBサイト:蓮林

平成29年5月15日

初鮎奉献祭

 5月12日(金)に初鮎奉献祭が執り行われました。
 岐阜県・長良川で毎年5月中旬に鵜飼開きが行われます。毎年、その際に捕れた初鮎を皇室に献上し、神武天皇をお奉りする橿原神宮にも奉献されます。当日は鵜匠の使者として岐阜県のボーイスカウト役員が初鮎を持参されました。
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 奉献祭にて初鮎を御神前にお供えし、今年の漁の安全と、豊漁を祈りました。
 神武天皇は東遷の際に戦の勝敗を鮎で占われました。また、鵜飼の先祖である「苞苴擔の子(にえもつのこ)」は吉野巡幸中の神武天皇に会い、自ら従ったと伝えられています。

 鵜が取った鮎は「歯形の鮎」と呼ばれ、鵜のクチバシの後が付いています。
 長良川の鵜飼漁の技術は平成27年3月に国の重要無形文化財に指定され、今年も10月中旬まで行われます。
 

 
  

平成29年5月6日

有楽流献茶祭

 5月5日(金)有楽流宗家 織田 宗裕(おだ そうゆう)氏奉仕による献茶祭を斎行しました。
 祭典中、織田 宗裕氏が濃茶と薄茶を点て、祭員がご神前にお供えしました。
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 有楽流は織田 信長の実弟、織田 長益(おだながます)に始まる茶道の流派の一つです。織田 長益は千利休に師事し有楽斎如庵(うらくさいじょあん)と号しました。織田 宗裕氏は17代目宗家。
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 織田 宗裕氏は
「神前では真っ直ぐな気持ちで奉仕をし、奉仕をしたあとは清々しい気持ちになる。」
と述べられました。
 献茶祭後は、文華殿(織田家旧柳本藩邸の表向御殿)にて拝服席を設けお茶を振る舞われました。また、当日は表千家、裏千家も拝服席を設け境内地は終日賑わいました。

平成29年5月5日

新緑の季節

ゴールデンウィークも後半に入って参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

5月に入り、日中は汗ばむほどの陽気が続き、橿原神宮へ御参拝の方々にも半袖姿や日傘姿の方を多く見かけるようになりました。
今の時期は境内地内のつつじも満開となり、香しい香りが辺りに広がっています。

ゴールデンウィーク①

また、南神門を抜け、外拝殿を望めば、背景の畝傍山の木々の色目も冬の時期とはまた違った、青々とした色目に変化。実に気持ちの良い景色が広がっています。
ゴールデンウィーク②

桜の時期を追え、本格的な新緑の季節を迎えた橿原神宮。
朝晩の寒さも緩み、日中過ごしやすいこの時期に是非とも御参拝をいただければ幸いでございます。

平成29年5月3日

大和の里山を彩る深紅の花

前回に引き続き、新しく生け替えられた嵯峨御流 境将甫氏のいけばなをご紹介します。

H29.04.27 いけばな

様式は、前回の「瓶花(へいか)」を発展させた生け方で、「想い花(おもいばな)」という型を取り入れております。

想い花は限りなく膨らむイメージに想いを託して生けるのが特徴で、生ける人の感情などが実に表される作品です。

花材は、キリシマツツジとユリの2種が贅沢に用いられ、奈良の葛城山に咲くツツジの情景を捉えた鮮やかな作風となっております。

当神宮でも深田池周辺をはじめ境内地に白や桃色のたくさんのツツジが見頃を迎えており、多くの参拝者の方に御覧頂いております。

行楽日和が続く中、新緑の中で咲き競うツツジをこのいけばなから感じて頂けたらと思います。

               (嵯峨御流 境将甫氏WEBサイト:蓮林

平成29年5月1日

戦勝を祝う歌舞『久米舞』

4月29日(土・祝)に崇敬者の参列を得て昭和祭を斎行しました。昭和祭は戦前から戦後という激動の時代に日本を導かれた昭和天皇の御聖業を仰ぎ、皇室の弥栄と国家の繁栄、そして平和を祈る祭典です。
久米舞
橿原神宮では年に二度、4月29日の「昭和祭」と11月23日の新嘗祭で久米舞を奉奏します。久米舞は神武天皇が現在の宇陀市の豪族を討った時の勝利を祝って詠んだ御製(歌)にあわせて久米部(くめべ)の兵士が勝ちどきを上げて舞ったのが起源とされています。現在では、天皇陛下の即位後初めて行われる新嘗祭(にいなめさい)である大嘗祭(だいじょうさい)や橿原神宮などで奉奏されています。久米舞は国風歌舞(くにぶりのうたまい)に分類されます。国風歌舞は上代歌舞(じょうだいのうたまい)とも呼ばれています。これは日本に大陸から異文化が入ってくる前から伝わってきた日本独自の歌と舞という意味です。日本書紀では宮中で舞われる久米歌の声の太さ細さ、舞う際の手の広げ方などは古式に則って奏しているとあり、その歴史の古さや重要性を物語っています。
神武天皇の東遷は近畿に入ってから多くの困難に見舞われます。そして事あるごとに歌が歌われます。時に勝利を祝い、時に合図に使い、時に思いを伝える。歌の力は日本の国作りに必要不可欠でした。久米舞は遠い昔の出来事を今に伝えています。

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